イギリス車 全盛の時代が終わり始めた頃の
個性的なセダン 4枚追加 合計1007枚
みなさま
こんばんは
週末から四国へお出かけして
記事アップや皆さまへの訪問が滞っていたことをこの場をお借りしてお詫び申し上げますm(_ _)m
さて、今日は我が家のD君の最新作をお届けいたします。
イギリス車、全盛の時代が終わり始めた頃の個性的なセダン 4枚です
どうぞ、ご覧くださいませ
(今回は4枚のみなのでWiki-peから説明文をお借りしてきましたので合わせてご覧くださいませ)
1955年 ジャガー マーク1
1955年に登場した2.4リッターは、ジャガー社として初めてモノコックボディを採用した自動車である。強度を保つためにウィンドウフレームは非常に太く、ここが後に登場するMk2との最も大きな識別点となっている。エンジンは、XKエンジンのストロークを切り詰め、排気量を2483ccとした物にソレックスのツインキャブレターを組み合わせ、5750rpmで112bhpを発揮した。ギアボックスはそれまで社内で用いられてきた4速MTを搭載していたが、オプションで機械式オーバードライブを付ける事もできた。サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン、リアはリーフスプリング。リアのトレッドの方が狭いという珍しい構造であった。 内装はそれまでのジャガー車に劣らぬ豪華な内容となっており、レザーシートとウッドパネルの空間が広がっている。
1961年 ジャガー マークⅩ
1966年の秋にジャガー・420Gと車名が変更され、1970年まで引き続き生産された。
1950年から生産されていた大型セダン・マークIXの後継車として登場したマークXは、主要市場であったアメリカの嗜好に応えるべく、ボディが大幅に拡大され、当時の欧州車としては異例の超・大型サイズを与えられた。全長4990mm・全幅1855mmだったマークIXに対し、マークXは11cm長く8cm幅広い。特に1938mmの全幅は、1990年代にスーパーカー
font>のXJ220(全幅2220mm)が登場するまでの間、ジャガー史上最大であり、大きく分厚いドアを軽く開閉するために補助スプリングまでも組み込まれていた。
font>のXJ220(全幅2220mm)が登場するまでの間、ジャガー史上最大であり、大きく分厚いドアを軽く開閉するために補助スプリングまでも組み込まれていた。
1961年 フォード コンサル クラシック 1300cc
1969年1月、アメリカで大ヒットとなっていたフォード・マスタングの成功をヨーロッパで再現しようと、前年発売したフォード・エスコートに次ぐ英独フォード共通モデルとして登場した。ロングノーズ、ショートデッキ、セミファストバックのプロポーションは、リアフェンダーのプレスラインやU型のクオーターウインドーの処理が個性的で、一目でカプリとわかるデザインを持っており、特に後者は1986年の最終型まで踏襲された。アメリカのマスタング同様、豊富なエンジンと内外装トリムレベルを組み合わせられるワイドセレクションを採用し、幅広いユーザー層を吸収した。
1963年 フォード コンサル コルセア
コーティナ(Cortina )は、フォード・モーターの英国法人、イギリス・フォードが1962年から1982年まで生産していた小型ファミリーカーである。コンベンショナルで手堅い設計を特徴とし、保守的な需要層、並びにカンパニーカーなどの法人向けやタクシー等の営業用として根強く支持され、長年イギリス国内のベストセラーカーの座を確保していた。
デビュー当時の正式名称は「フォード・コンサル・コーティナ」であったが、1964年にマイナーチェンジを受けてからは単に「フォード・コーティナ」と呼ばれるようになった。1982年に第五世代(通称MK5・フォードは「コーティナ80」と称した)がフォード・シエラに世代交代するまでの20年間生産され、各世代とも100万台近くを販売した。
ブリティッシュ・モーター・コーポレーションが1959年に発売したミニの好評を目の当たりにした英国フォードは、複雑な設計ゆえに生産コストや販売価格がサイズに比べて割高なミニと対抗するには、より大きく、常識的な設計の小型車を低価格で売り出すべきだと考えた。そのために開発されたのが初代の「フォード・コンサル・コーティナ」で、1962年9月に発売された。コーティナはサイズ的にはモーリス・オックスフォードやボクスホール・ヴィクターに匹敵し、これらの需要層の取り込みも図っていた。発売されるとすぐにコンサル・コーティナはその割安な価格、特にワゴンモデルの積載能力の高さは評判を呼び、発売3ヶ月で6万台を販売するヒット作となった。 その後も順次バリエーションを拡張し、1963年1月には当初の1198ccの「スタンダード」・「デラックス」に加え1498cc57.5馬力の上級版「スーパー」、4月にはそのエンジンを75.5馬力にチューンした「GT」を追加した。また同年にはロータス製DOHC1558cc106馬力エンジンを搭載したホットモデル・ロータス・コーティナも登場し、ロータス社工場で1966年までの3年間で約2800台が生産され、モータースポーツでも活躍した。[2]
1964年9月にマイナーチェンジを受け、「フォード・コーティナ」に名称変更された。フロントグリルの意匠やダッシュボードが変わった他、「エアフロー・ベンチレーション」が採用されて、室内気排出用のグリルがCピラーに追加された。この方式は有効で、その後ほとんどの乗用車の設計に採用された。
以上、ロンドンオリンピックに同行できなかったD君は大好きな、古き良き時代の英車に会いに行くのを
老後の楽しみとしていると勝手に想像する三原色でありました(笑)
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三原色の甥っ子
清水 聡
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