●公文&世界平和♪

~学校教育と家庭教育~家庭教育としての公文式♪

 
みなさま
 
こんにちは~
 
今日のくもん式の時間です
 
では
 
始まり始まりぃ~
 
イメージ 1
 
 

 

 
第1章:教育
 
教 育
 教え育てること。導いて善良ならしめること。人を教えて知能をつけること。 [教育用語](education)社会のもつ基本的な機能の一。人間に他から意図を  もって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動。  それの展開される場によって、家庭教育・学校教育・社会教育などの別が  ある。                           (広辞苑)
 
 
1.家庭教育としての公文式
 
■家庭教育
 家庭の生活環境の中で、父母その他家族によって行われる教育。乳幼児の保育のほか、就学後も独自の環境と人間関係により、大きな影響がある。 (広辞苑)
  公文式は、学校教育に代わるものとして存在するものではありません。また、学校教育の単なる補完的役割を果たそうとするものでもありません。 もし私たちが、公文式を学校教育に代わるべきものであると主張するならば、その根底には「学校否定」の考えがあることになります。しかし、公文式は学校を否定するものではありません。また、公文式が学校教育の単なる補完的存在であるとするならば、その根底には、学校こそ唯一の「正統」な教育の場であるという考えがあることになり、公文式を学校教育の補助手段であるとして位置づけることになります。しかし、公文式は学校を否定しないのはもちろんですが、そうかといって、学校こそ正統的な唯一の教育の場であるとも考えません。 公文式は、きわめて現実的な立場をとります。それは、「子どもをもつ親」の立場です。それは、教育学者の立場でもなく、学校論者の立場でもありません。毎日学校へ行く子どもをもっている親の立場です。すなわち、朝ごとに「行ってきます!」と言って家を出、午後になって「ただいま!」と帰ってくる子どもに対して、学校時間外にどのような教育をすればよいかという家庭教育の立場であります。 今日、わが国のいわゆる「教育の荒廃」をひき起こしている根本原因の一つは、教育に関するほとんどすべてのことを学校だけに任せようとする態度であると思われます。「わが子」の教育に関しては「親」こそが責任をもつべきであるという考えが、あいまいになり、親の責任が回避される傾向が目立っているのです。 もちろん、すべての親がつねに高い教育的見識と教育技術をもっているとはかぎりません。しかし、家庭教育がどれだけ大切なものであるかは、いくつかの項目について学校教育と対比させながら考えてみただけでも、その重大さがわかります(上表参照)。私たちが親の立場に立ち、親に代わって子どもたちの指導にあたることがどんなに大きな意義をもっているかを、あらためて認識したいものです。
 
 
イメージ 2
 
 
 では素敵な一日を
 
 
幼児・小学生絵画教室 三原色の会
size=”5″>
HP(ホームページ)=http://sun-gen.com/
 
(ヒストリックカーイラストレーション)
 
class=”userDefTextLink” href=”https://localwest.blogmura.com/ok” target=”_blank”>https://localwest.blogmura.com/okayama_town/
↑ ↓ ココをクリックしてね