待合所裏の建物もこの有様でした。この建物も、実は津波の避難場所の候補でした。
金華山 地震と津波の爪跡 東北関東大震災に遭遇して2
御礼と近況のおしらせ
多くの皆さまにご心配いただき、励ましのコメントをいただき、大変ありがとうございました。 私は宮城県の島・金華山で地震と津波に遭遇し、
がけ崩れが続く山道を命からがら避難しました。
幸運にも翌12日に私たちが金華山に渡った船で救出され、
石巻市の鮎川(牡鹿半島の先端)で5日間の避難所生活を送りました。
牡鹿半島全体が壊滅状態だったため、この間、外部との連絡がまったく取れませんでした。
がけ崩れが続く山道を命からがら避難しました。
幸運にも翌12日に私たちが金華山に渡った船で救出され、
石巻市の鮎川(牡鹿半島の先端)で5日間の避難所生活を送りました。
牡鹿半島全体が壊滅状態だったため、この間、外部との連絡がまったく取れませんでした。
家族の身の安全も心配でしたが、家族がどんなにか私の身を案じているかを思うと、
そちらの方が却ってつらい毎日でした。
しかし、家族も家も失った避難者の方々に比べれば、ましだと感じて、自分尾励ましていました。
そちらの方が却ってつらい毎日でした。
しかし、家族も家も失った避難者の方々に比べれば、ましだと感じて、自分尾励ましていました。
16日になって、物資輸送用のため訪れたの自衛隊のジープに石巻市内まで乗せてもらい、
> 徒歩とヒッチハイクで3月17日中にかろうじて仙台の自宅へ戻ることが出来ました。
>
家は大分損傷を受け、これから住み続けられるかどうかは未知数ですが、、
屋根にシートをかけたり、補強したりしてなどの応急処理をして、目下のところ住める状態です。
食糧は入手しづらい状態ですが、スーパーに並べばどうにか手に入ります。
私の行方不明中には、息子が関東から駆けつけて、
いろいろとやってくれていたので、助かりました。
近所の方々からも大分助けていただいたとのことで、とても感謝しています。
“命があっただけでもよし”、と思ってがんばってゆきたいと思います。
> 徒歩とヒッチハイクで3月17日中にかろうじて仙台の自宅へ戻ることが出来ました。
>
家は大分損傷を受け、これから住み続けられるかどうかは未知数ですが、、
屋根にシートをかけたり、補強したりしてなどの応急処理をして、目下のところ住める状態です。
食糧は入手しづらい状態ですが、スーパーに並べばどうにか手に入ります。
私の行方不明中には、息子が関東から駆けつけて、
いろいろとやってくれていたので、助かりました。
近所の方々からも大分助けていただいたとのことで、とても感謝しています。
“命があっただけでもよし”、と思ってがんばってゆきたいと思います。
神社のに到着してみると、
境内の参殿の前に立っている鳥居は根元から倒れ、灯篭などもちゃめちゃに壊れていました。
境内の参殿の前に立っている鳥居は根元から倒れ、灯篭などもちゃめちゃに壊れていました。
②再びの地震に備えて、畳の部屋もすべて土足であった。
③敷布団や毛布や掛け布団もかしてくれ、靴のまま寝るようにと、特別の計らいをしてくれた。
まさに、地獄に仏であった。
④夕食も、おにぎり2個に熱々の豚汁という、避難所としては破格の厚遇であった。
③敷布団や毛布や掛け布団もかしてくれ、靴のまま寝るようにと、特別の計らいをしてくれた。
まさに、地獄に仏であった。
④夕食も、おにぎり2個に熱々の豚汁という、避難所としては破格の厚遇であった。
⑤夜になっても、何度も震度5程度の余震があり、本殿の瓦がぶつかり合う音は眞に恐怖だった。
まだまだ予断の許されない状況だった。
⑥我々の仲間11名は、比較的安全な状態におかれると、
全員、船で沖にでた二人の仲間のことがとても気になっていた。
危険は冒したが、我々は正しい判断をしたと、みんなで方語り合った。
まだまだ予断の許されない状況だった。
⑥我々の仲間11名は、比較的安全な状態におかれると、
全員、船で沖にでた二人の仲間のことがとても気になっていた。
危険は冒したが、我々は正しい判断をしたと、みんなで方語り合った。
⑥外界との交信はまったく途絶えているので、
ここへ救助の手が差し伸べられるのはかなりの先のことであろうということは容易に想像できた。
長期避難生活を覚悟した。
今考えると、よくこのような道を避難して来たたものだと、我ながら不思議な感じにとらわれた。
こうして歩いてみると、崩れてくる岩にも、倒木にもれず当たらず逃げおうせたことは、
幸運っだけではなく、目に見えない大きなものに守られたのではないかと、しみじみと思う。
ここへ救助の手が差し伸べられるのはかなりの先のことであろうということは容易に想像できた。
長期避難生活を覚悟した。
地震と津波の爪跡
翌12日朝、神社周辺と船の桟橋付近に被害状況を調べに行きました。神社から船着場までの道
今考えると、よくこのような道を避難して来たたものだと、我ながら不思議な感じにとらわれた。
こうして歩いてみると、崩れてくる岩にも、倒木にもれず当たらず逃げおうせたことは、
幸運っだけではなく、目に見えない大きなものに守られたのではないかと、しみじみと思う。
この建物の屋根に上らず、がけ崩れの危険を冒してでも、山に逃げたことがやはり大正解でした。
船着場のすぐ後ろのモルタル造りの建物も骨だけになっていた。 この建物の屋上も避難候補だった。もしもこの建物の屋上に避難したら…と思うと、ぞっとした。
船着場のすぐ後ろのモルタル造りの建物も骨だけになっていた。 この建物の屋上も避難候補だった。もしもこの建物の屋上に避難したら…と思うと、ぞっとした。
振り返ってみると、これまでの人生には生死にかかわる、大きな岐路があった。
今回は、間違いなく、その最大級のひとつになるだろう。
今回は、間違いなく、その最大級のひとつになるだろう。
次回では、思わぬ救出と鮎川の惨状おお伝えします。
転載元: 道をゆく ~シルクロードと遍路道~
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