★災害情報★

被災地の状態。~瓦礫の撤去作業が進められています。

昨日の朝は、避難所では雪が20センチ積もったようです。
今朝も、マイナス2℃・・。寒い朝です。いくら北国でも今の時期に20センチの雪が積もるなんて・・・・。
沿岸部は、ミゾレでしたが・・。寒いですねー。
気候までもおかしくなったのかなあ・・・?なんて、思ってしまいます。

さて、今、被災地の瓦礫の撤去作業が進められています。

漁村地域によって、瓦礫の質がちがいます。

僕のところは、防潮林の黒松の瓦礫に家の瓦礫が中心です。

漁師が多く住んでる外の4集落は、瓦礫は家や舟、漁具の残骸瓦礫が中心です。

↓↓重機が入り、ダンプでどんどん瓦礫が撤去されています。













































































どんどん、宅地だった場所が更地になるのを見ると・。

何か・・・。すごく寂しい気持ちになります。










































国の意向で、県条例で被災地区域には家を建てられないことになるようです。

被災地の土地区画整理提言へ
4月21日 4時49分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110421/t10015451031000.html
岩手もそれに準じて、条例を制定するようです。

いったい、今までの漁村はどうなるのか・・?
確かに、いろいろな考え方があるようです。賛否両論ですが・。
法には従わなければならないでしょう。

すると、例えば漁師をするにしても、漁協の家、倉庫などをはじめ、水産関係業者(加工場、冷凍庫、造船所、鉄工所、)など高台に作らなければならないことになります。
しかし、例えば造船所などは舟を運搬できないので・。どうなるのか・・?例外的に認めるのか・・?
まだ、非透明ですが・・。

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三陸沿岸は、まさに津波との闘いの歴史があります。

明治29年、昭和8年、チリ津波(昭和35年)、と・・。
平均すれば40年に一回、津波が襲来した計算に・・。

今のように重機などがない時代です。おそらく、皆共同で復興作業をしたのだと思うと・・。
先人の苦労が、忍ばれます・。

そのため、DL8mの津波防波堤が三陸沿岸には建設されていました。
(僕らが、小学生のころから始まった工事で完成するにの10年以上かかったとおもいます)

今回の津波は、そんな、「DL8mの津波防波堤」など全く意味を持たないものでした。

これ
までアップした。

書庫「被災地漁師のルポ動画と関連記事を見れば明らかです。

明治29年の津波がこれまでの最大とされてきましたが、明らかに今回の津波はそれ以上のものです。

それと、地震から津波到達するまでの時間が30分以内と短く、被災範囲が広いのが特徴だと想います。


まさに、想定外の津波であったのです。


転載元: 山と土と樹を好きな漁師