東日本大震災 津波、史上最大…「明治三陸」超える
毎日新聞 4月24日(日)2時32分配信
↓↓家屋をのみ込みながら内陸に押し寄せる大津波=宮城県名取市で2011年3月11日午後3時55分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
東日本大震災で発生した大津波が、国内で過去最大の津波とされてきた明治三陸地震(1896年)による津波を超える規模だったことが、東京大地震研究所の現地調査で明らかになった。岩手県野田村から同県宮古市にわたる約40キロの海岸線の多くで、津波の到達した高さが20メートル以上に及び、5カ所で30メートルを超えた。明治三陸津波で遡上(そじょう)高が30メートルを超えたのは東北全体で2カ所だったことから同研究所は「明治三陸津波を超える津波だったと言える」と分析する。
◇30メートル超、5カ所…東大地震研調査
調査は、同研究所の都司(つじ)嘉宣准教授(津波・古地震学)らが実施した。東日本大震災の津波については、津波の痕跡が発生後1~2カ月で消えてしまうため、今回の対象地域以外でも全国の津波研究者が分担して現地調査に取り組んでいる。
都司准教授らの調査の結果、宮古市田老小堀内で津波の到達した高さが37.9メートルに及んだほか、同和野35.2メートル、同青野滝34.8メートル、宮古市・松月31.4メートル、同市・真崎30.8メートル--の計5カ所で30メートルを超えた。
明治三陸津波で高台へ運ばれた大きな岩として有名な「津波石」(標高25メートル)が残る岩手県田野畑村の羅賀地区では津波石を超える27.8メートルに達した。
↓↓これが田野畑村の明治三陸津波で高台へ運ばれた大きな岩として有名な「津波石」(標高25メートル) がれき撤去後の画像。この前には家が沢山あったのです。
↓↓近づいてみると・・・。(有名な「津波石」(標高25メートル)
明治三陸津波では岩手県大船渡市で38.2メートルを記録したが、30メートル超は他に同県陸前高田市の32.6メートルだけで、昭和三陸地震(1933年)による津波は最高28.7メートル(大船渡市)だった。
毎日新聞 4月24日(日)2時32分配信
東日本大震災 津波、史上最大…「明治三陸」超える
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家屋をのみ込みながら内陸に押し寄せる大津波=宮城県名取市で2011年3月11日午後3時55分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
東日本大震災で発生した大津波が、国内で過去最大の津波とされてきた明治三陸地震(1896年)による津波を超える規模だったことが、東京大地震研究所の現地調査で明らかになった。岩手県野田村から同県宮古市にわたる約40キロの海岸線の多くで、津波の到達した高さが20メートル以上に及び、5カ所で30メートルを超えた。明治三陸津波で遡上(そじょう)高が30メートルを超えたのは東北全体で2カ所だったことから同研究所は「明治三陸津波を超える津波だったと言える」と分析する。
◇30メートル超、5カ所…東大地震研調査
調査は、同研究所の都司(つじ)嘉宣准教授(津波・古地震学)らが実施した。東日本大震災の津波については、津波の痕跡が発生後1~2カ月で消えてしまうため、今回の対象地域以外でも全国の津波研究者が分担して現地調査に取り組んでいる。
都司准教授らの調査の結果、宮古市田老小堀内で津波の到達した高さが37.9メートルに及んだほか、同和野35.2メートル、同青野滝34.8メートル、宮古市・松月31.4メートル、同市・真崎30.8メートル--の計5カ所で30メートルを超えた。
明治三陸津波で高台へ運ばれた大きな岩として有名な「津波石」(標高25メートル)が残る岩手県田野畑村の羅賀地区では津波石を超える27.8メートルに達した。明治三陸津波では岩手県大船渡市で38.2メートルを記録したが、30メートル超は他に同県陸前高田市の32.6メートルだけで、昭和三陸地震(1933年)による津波は最高28.7メートル(大船渡市)だった。
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今回の津波は間違いなく、津波そのもの高さが、23mは超えています。
地形によって、田野畑村島之越の谷の間の沢は、津波想定区域の看板が鯛され、大きな松の木にぶら下がった状態です。40mの標高に建てられいた看板です。
↓↓これが、三陸鉄道の田野畑村島越駅、前は海水浴場、この橋梁の上に駅があり、標高23m。
谷をかけ上がらなくても、このレールの上が標高23mです。この上の民家は全滅です。
この、下に「松前川」があり・。川沿いに40m付近まで瓦礫が流れされています。これを見れば、一目瞭然です。
いかに巨大な津波だったか・・・・。
そして、平均時速は時速460キロのスピードです。
地震から31分で到達。
毎日新聞 4月24日(日)2時32分配信
↓↓家屋をのみ込みながら内陸に押し寄せる大津波=宮城県名取市で2011年3月11日午後3時55分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
東日本大震災で発生した大津波が、国内で過去最大の津波とされてきた明治三陸地震(1896年)による津波を超える規模だったことが、東京大地震研究所の現地調査で明らかになった。岩手県野田村から同県宮古市にわたる約40キロの海岸線の多くで、津波の到達した高さが20メートル以上に及び、5カ所で30メートルを超えた。明治三陸津波で遡上(そじょう)高が30メートルを超えたのは東北全体で2カ所だったことから同研究所は「明治三陸津波を超える津波だったと言える」と分析する。
◇30メートル超、5カ所…東大地震研調査
調査は、同研究所の都司(つじ)嘉宣准教授(津波・古地震学)らが実施した。東日本大震災の津波については、津波の痕跡が発生後1~2カ月で消えてしまうため、今回の対象地域以外でも全国の津波研究者が分担して現地調査に取り組んでいる。
都司准教授らの調査の結果、宮古市田老小堀内で津波の到達した高さが37.9メートルに及んだほか、同和野35.2メートル、同青野滝34.8メートル、宮古市・松月31.4メートル、同市・真崎30.8メートル--の計5カ所で30メートルを超えた。
明治三陸津波で高台へ運ばれた大きな岩として有名な「津波石」(標高25メートル)が残る岩手県田野畑村の羅賀地区では津波石を超える27.8メートルに達した。
↓↓これが田野畑村の明治三陸津波で高台へ運ばれた大きな岩として有名な「津波石」(標高25メートル) がれき撤去後の画像。この前には家が沢山あったのです。
↓↓近づいてみると・・・。(有名な「津波石」(標高25メートル)
明治三陸津波では岩手県大船渡市で38.2メートルを記録したが、30メートル超は他に同県陸前高田市の32.6メートルだけで、昭和三陸地震(1933年)による津波は最高28.7メートル(大船渡市)だった。
毎日新聞 4月24日(日)2時32分配信
東日本大震災 津波、史上最大…「明治三陸」超える
拡大写真
家屋をのみ込みながら内陸に押し寄せる大津波=宮城県名取市で2011年3月11日午後3時55分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
東日本大震災で発生した大津波が、国内で過去最大の津波とされてきた明治三陸地震(1896年)による津波を超える規模だったことが、東京大地震研究所の現地調査で明らかになった。岩手県野田村から同県宮古市にわたる約40キロの海岸線の多くで、津波の到達した高さが20メートル以上に及び、5カ所で30メートルを超えた。明治三陸津波で遡上(そじょう)高が30メートルを超えたのは東北全体で2カ所だったことから同研究所は「明治三陸津波を超える津波だったと言える」と分析する。
◇30メートル超、5カ所…東大地震研調査
調査は、同研究所の都司(つじ)嘉宣准教授(津波・古地震学)らが実施した。東日本大震災の津波については、津波の痕跡が発生後1~2カ月で消えてしまうため、今回の対象地域以外でも全国の津波研究者が分担して現地調査に取り組んでいる。
都司准教授らの調査の結果、宮古市田老小堀内で津波の到達した高さが37.9メートルに及んだほか、同和野35.2メートル、同青野滝34.8メートル、宮古市・松月31.4メートル、同市・真崎30.8メートル--の計5カ所で30メートルを超えた。
明治三陸津波で高台へ運ばれた大きな岩として有名な「津波石」(標高25メートル)が残る岩手県田野畑村の羅賀地区では津波石を超える27.8メートルに達した。明治三陸津波では岩手県大船渡市で38.2メートルを記録したが、30メートル超は他に同県陸前高田市の32.6メートルだけで、昭和三陸地震(1933年)による津波は最高28.7メートル(大船渡市)だった。
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今回の津波は間違いなく、津波そのもの高さが、23mは超えています。
地形によって、田野畑村島之越の谷の間の沢は、津波想定区域の看板が鯛され、大きな松の木にぶら下がった状態です。40mの標高に建てられいた看板です。
↓↓これが、三陸鉄道の田野畑村島越駅、前は海水浴場、この橋梁の上に駅があり、標高23m。
谷をかけ上がらなくても、このレールの上が標高23mです。この上の民家は全滅です。
この、下に「松前川」があり・。川沿いに40m付近まで瓦礫が流れされています。これを見れば、一目瞭然です。
いかに巨大な津波だったか・・・・。
そして、平均時速は時速460キロのスピードです。
地震から31分で到達。
転載元: 山と土と樹を好きな漁師
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