皆さま、こんばんは~ 昨日お届けしたミッレミリアの高速道路風景マダマダ続きがございますが… ここらでちょっと一休み と言う事で原宿から着いた福島裏磐梯に有る温泉の記事をお届けいたします♪
土湯温泉こけし湯
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入浴客があまりにも多過ぎ
撮影は諦めました。
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と言う事で~
先ずはコチラ
さすがはこけしの街ですね\(^o^)/
「土湯温泉開湯の由来」
神代の時代までさかのぼり、大穴貴命(おおあなむちのみこと)が陸奥の国に下がる時、
ここに温泉があると荒川のほとりに鉾で突いた。
するとコンコンと湯が沸き、誰ともなしに”突き湯”と名が付けられ、
するとコンコンと湯が沸き、誰ともなしに”突き湯”と名が付けられ、
それがやがて”土湯”と呼ばれるようになった。
604年、推古天皇の御代に聖徳太子が仏法興隆のため、
諸国六十余州に国府寺御造建の御本願をもって、東国に秦野川勝(はたのかわかつ)が遣わされた。
しかし川勝は、半身不随の病におかされ、良医良薬の効なくして臥していたところ、
しかし川勝は、半身不随の病におかされ、良医良薬の効なくして臥していたところ、
聖徳太子が夢枕に現れ、「土湯という所に温泉あり、
ここにて湯治せよ病癒ゆべし」とお告げがあったという。
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