国宝犬山城
みなさま
こんばんは。
先週末訪れた中部地方の記事の続きです。
どうぞ、ご覧くださいませ
今回ご紹介するのは「国宝犬山城」です。
一口に国宝といっても、驚くなかれ
国宝と名のつくお城は
犬山城、姫路城、松本城、彦根城の4つしかないですよ~
今までに3つしか訪問していませんでしたので
(犬山城は遠目にしか見たことがなかった)今回は4つ目の訪問です。
それにしても、なぜ国宝の城って4つしかないのでしょうか
調べてみましたところ
戦争で焼けたとしても北陸、東北の方はそれほど被害を受けていないし
(東京とか東海、中国地方にくらべれば)、焼けるというのは考えにくいのですし・・・
明治維新の時に昔の文化はいらないみたいな感じで壊されたものもたくさんあるんでしょうか?
大東亜戦争の戦火で消失した城は
仙台城大手門
水戸城
大垣城
名古屋城
岡山城
広島城
福山城
首里城
など
仙台城大手門
水戸城
大垣城
名古屋城
岡山城
広島城
福山城
首里城
など
これより明らかに多くの城が、明治時代に失われてしまいました。
1. 明治維新前後の段階で、藩の財政窮乏により手入れが行き届かず、
荒廃の様子が見て取れる城がかなりあること。
2. 明治時代に「旧藩士の団体や旧大名家が維持しようとしたが、
維持費が続かずに解体された城」がかなりあること。
3. 大東亜戦争まで残存した城は、何らかの形で公費が投入されて維持されたものであること。
4. 現存する備中松山城、松江城などは、戦前に大修理がされるまで、
「倒壊寸前」というような悲惨な状態になっていたこと。
が分かります。
要するに、木造の城郭建築というのは、維持するのに大変なお金がかかるのです。
伊勢に松坂城がありました。
伊勢に松坂城がありました。
この城は蒲生氏郷が会津に移る前に築城したものですが、
何人かの大名の居城となった後、1619年から和歌山藩の「持ち城」となりました。
その後、手入れがなされなかったようで、約25年後の1644年に天守が倒壊してしまいました。
木造建築というのは、手入れがなされなかった場合、我々が想像する以上に脆いものなのです。
それでは、現存する城で犬山城について少しばかり。
この城は、この城の城主であった名古屋藩付家老(譜代大名と同格)の
成瀬氏が、明治以降も「維持修理すること」を条件に私有していたものです。
犬山城に行ってみると分かりますが、天守は小さな可愛らしい建築です。
明治維新後に子爵になった成瀬氏なら代々、何とか維持できたのも納得出来る建築物です。
現在、残っている木造建築物は天守のみです。
現在、残っている木造建築物は天守のみです。
石段を上がっていくと、急に視界が開けて、眼前に可愛らしい天守が建っています。
犬山城(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E5%B1%B1%E5%9F%8E
国宝犬山城 公式サイト
http://www.inuyamajohb.org/
犬山城(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E5%B1%B1%E5%9F%8E
国宝犬山城 公式サイト
http://www.inuyamajohb.org/
昭和10年(1935)5月 国宝指定されその後、法規の改正に伴って、同27年3月に国宝に再指定されました。
天文創建時の構造、手法をとどめて、現存するわが国最古の天守閣です。
天文創建時の構造、手法をとどめて、現存するわが国最古の天守閣です。
徳川家康九男義直が尾張藩主となり、義直の尾張入りに際して傅役(もりやく)の
成瀬正成が犬山城主となって以来、
十二代正俊と平成16年(2004)3月まで成瀬家が代々犬山城を所有してきました。
平成16年4月1日に愛知県教育委員会から認可されて
「財団法人犬山城白帝文庫」が発足し個人から財団法人となったようです。
そして、第12代犬山城主成瀬正俊の長女:成瀬 淳子氏が初代理事長をお勤めになられている
ようです
ようです
長くなりましたが、画像をご覧くださいませ
先ずは関ヶ原の戦いが行われた決戦地跡がチョイとばかり離れた場所にありましたのでそちらから~
こちらから犬山城です
急な階段を5階分ほど登って天守閣を目指します
ここで城下の皆様を
犬山城は木曽川南岸標高約40メートルの崖の上にそびえています。
下流を
上流を
良い眺めじゃのぉ~
改築時の模型
今日もご訪問&コメントありがとうございます
(訪問&返信コメントができていなく申し訳ございません)
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~オリンピック2大会連続出場決定=清水聡(三原色の甥っ子)の応援をよろしくお願いいたします
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