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火野正平 『にっぽん縦断こころ旅』で出会った『熊本県美里町 二俣橋』&通潤橋

火野正平 『にっぽん縦断こころ旅』で出会った
『熊本県美里町 二俣橋』

 
みなさま
 
こんばんは。
 
夕方から雨模様の岡山(今後1週間は雨梅雨らしい季節です)。
皆様の地方ではいかがでしょうか
 
 
 
今夜の記事は火野正平氏が自転車で訪れる『にっぽん縦断こころ旅』で放映された
『美里町 二俣橋』のご紹介です。
番組あての手紙あらすじ
今日の目的地は、桑田さんが子供のころに遊んだ美里町の「二俣橋」。
地図には載っていないこの橋を、お手紙を頼りに訪ねます。
まずは熊本駅を出発、松橋(まつばせ)駅へ・・・
交通量の多い国道を避け、裏道を進むと、温かい人との出会いが・・・。
到着した「二俣橋」は、1830年に完成したという石橋。
今も変わらぬ美しい姿でした。
そして、川面に現れるハートの謎も解けて・・・
 
 
(※九州旅の続きです)
オープンカーで行く『日奈久温泉♪』http://blogs.yahoo.co.jp/reikos_abc/39716486.html
日本一の石畳~湯平温泉~白雲荘~http://blogs.yahoo.co.jp/reikos_abc/39793573.html 
 
 
では~どうぞ、ご覧くださいませ
 
日奈久温泉を後に向かった先

 
それがこちらです
 
『熊本県美里町 二俣橋』
 

 
陽の光で橋が影を川面に落とすと、ハートができるのです
その様子をユーチューブで見つけましたhttp://www.youtube.com/watch?v=uUOcGkZDxcE
 
今までに何度も出会った『恋人たちの聖地』~ここにもありました
 
さて~

「二俣橋」とは?

   二俣橋とは、緑川の支流の釈迦院川(しゃかいんがわ)と津留川(つるがわ)の合流地点でそれぞれの川に架かっている二つの眼鏡橋のことです。
江戸時代、旧砥用町方面からの道路はこの合流地点で二つに分かれていました。甲佐、熊本へつながる道は津留川に架かった橋を渡り、堅志田、松橋方面へつながる道は釈迦院川に架かった橋を渡ります。
   これら二つの橋はそれぞれ独立した橋ですが、釈迦院川に架かった右岸側と津留川に架かった左岸側が接近しているため、直角に折れ曲がった一つの橋のように見えます。また、二つの橋がそのサイズや石組みなどでほぼ同じように造られていることも一つの橋に見える原因かもしれません。
   この二つの橋をまとめて「二俣橋」といっていますが、江戸時代には、釈迦院川に架かる「二俣渡」、津留川に架かる「二俣福良渡」(ふたまたふくらわたし)、とそれぞれ名前があり、
大きさがほぼ同じで、まさしく双子のような橋です。

いつ、だれが作ったのか?

   「二俣橋」がある地域は、江戸時代は中山手永とよばれ、中山手永惣庄屋・小山喜十郎が指揮をして架けられたものです。二俣渡が文政12年(1829年)、二俣福良渡が文政13年(1830年)につくられましたが、
架橋にたずさわった石工についてははっきりとはしていません。
   ただし、橋の車止めとして立っていた「車通すべからず」と刻まれた石柱には、備前児嶋郡の石工である茂吉と勘五郎の名前が残されており、この二人が架けた可能性があります。ちなみに、眼鏡橋が架けられる前には、文政2年(1819年)に木橋があったという記録も残されています。

「二俣橋」の現在

   「二俣橋」は重要文化財として美里町の指定を受けており、見学者がたびたび訪れています。見学者は同時に国道218号線の釈迦院川に架かる二つの年祢橋も見ることができ、そのすばらしい眺めを楽しんでいます。また、橋の下を流れる釈迦院川・津留川は、清流であり、川の合流地点に白砂の川岸ができるため、国土交通省の「子どもの水辺」に選定されています。
 二俣橋は架橋以来、人々や物の往来の分岐点として、人びとの暮らしを静かに眺め続けてきました。そして、今後は主にそれらの歴史を伝える史跡として、これからも人びとの暮らしを静かに眺め続けるでしょう。

周辺情報

   近くでは日本一の石段(3333段の石段)ここは看板を見ただけで登りませんでした~や
西山つつじ公園、堅志田城跡、金刀比羅さんなどが見学できます。 
 
ここでは国土交通省の「子どもの水辺」に選定されただけとあって皆、
童心に戻り平たい石を見つけて石ジャンプ合戦をしました

 
ここを訪れた日の火野さんのブログhttp://www.nhk.or.jp/kokorotabi-blog/200/102610.html#more

 
永い年月~風雪に耐え、多くの人々の生活を支え
時には愛を語り…

 
橋の車止めとして立っていた「車通すべからず」と刻まれた石柱~?

 
だから~、通るべからずですよ

 

 
誰でもが童心に帰れる素敵な情景でしょう

 

 

 
少々、腰をかがめないと通ることができません
春はが素敵に咲き誇ることでしょう

 
欄干の凹みに歴史を感じます

 

 
橋の車止めとして立っていた「車通すべからず」と刻まれた石柱

 

 

 

 

 
霊台橋

 
近くには通潤橋もあります(火野正平さんのTV放映前からかなり有名な場所です)

 

 

 
 
以上、苔むした橋の石たちはイギリスのコッツウォルズの様に見えるのは三原色(私)だけでしょうか
 
日本の心のふるさとであること間違いなしの素敵な景色とであえて感激しました
 

 

 
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